5.勝海舟との出会い
1860年、咸臨丸の艦長としてアメリカへいってきた勝海舟は、
日本が外国と比べて」、どれほど遅れているか、どうしなければならないか、
について深い考えをもっている幕府の役人でした。
江戸を出た龍馬は、その勝海舟を訪ねました。
「日本も黒船のような大きい船をもたなければいけない。船を動かすには、
航海の知識と技術を持った人を育てないとだめだ。攘夷などと言っても、
何の役にもならない。」という意見を聞いて感動した龍馬は、勝海舟の弟子になり、
航海術の修業生になります。
幕府の軍艦、順動丸に乗り込み、沢村惣之丞をはじめ土佐の同士にも入門をすすめ、
やがて勝塾の塾頭になりました。
また、幕府の神戸海軍操練所ができると、勝海舟は軍艦奉行となりました。
勝塾の修業生も加わって、西洋の新しい学問や、2隻の軍艦を使っての実習も行われました。
しかし、操練所は、幕府の命令で1年ほどで終わってしまいます。
つづきは、後日・・・

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