4、龍馬、脱藩
幕府の力が衰えるにつれて、長州藩や薩摩藩では、尊王攘夷の動きがあわただしくなってきました。
土佐藩でも、郷士など身分の低い武士や、村々の庄屋など、200人ほどが加わって、
武市瑞山を中心に土佐勤王党が作られました。しかし、藩の政治を進めている上士たちは、
勤王党の考えを受け入れようとしません。するどく対立しました。
龍馬は「土佐藩では活動ができない」と考えて脱藩しました。脱藩は藩の掟を破り、
罪になります。1862年3月24日、龍馬と沢村惣之丞は、人目をさけながら長州に向いました。
脱藩する龍馬に、刀を渡して見送った姉の栄は、その夜、責任をとって自ら命を絶ったと
いわれています。
つづきは、後日・・・

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