2010年1月14日

4、龍馬、脱藩

 幕府の力が衰えるにつれて、長州藩や薩摩藩では、尊王攘夷の動きがあわただしくなってきました。

土佐藩でも、郷士など身分の低い武士や、村々の庄屋など、200人ほどが加わって、

武市瑞山を中心に土佐勤王党が作られました。しかし、藩の政治を進めている上士たちは、

勤王党の考えを受け入れようとしません。するどく対立しました。

 龍馬は「土佐藩では活動ができない」と考えて脱藩しました。脱藩は藩の掟を破り、

罪になります。1862年3月24日、龍馬と沢村惣之丞は、人目をさけながら長州に向いました。

 脱藩する龍馬に、刀を渡して見送った姉の栄は、その夜、責任をとって自ら命を絶ったと

いわれています。

つづきは、後日・・・

トラックバックURL

このエントリーのトラックバックURL:
http://122.200.227.107/cmt/mt-tb.cgi/178

コメントする