2010年2月 9日

発熱

 不覚にも昨夜から熱がでて、寝込んでいました。

微熱がつづき、しんどかった。

熱も下がり、少しずつ食欲もでてきたのでもう大丈夫でしょう。

 実は長男も学校やすんでいました。

体調管理きをつけなくては・・・

2010年2月 6日

フリーペーパー

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 関西圏で発刊されている、Gocli(ゴクリ)というフリーペーパーに

室戸木研のひのき枕が掲載されました。

 約6万部発行ということで少しでも多くの方々の目にとまっていただければ

うれしいのですが、1月20日発行なのに注文がぜんぜんないなぁ・・・

 

2010年2月 3日

ウトコホテル

 

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 本日、室戸岬にあるウトコホテルに搬入にいってきました。

数日前に弊社にきていただき地元室戸の珍しいものを探していたとのこと

取り扱っていただく運びとなりました。

 ウトコホテルの事は、ニュースや噂ではいろいろ聞いていましたが、

実際には行ったことはありませんでした。ものすごく綺麗でオシャレなホテルで、

ディスプレイもシンプル、作業服で行ったので私も商品も場違いではないかと思いながら、

取り扱っていただけることに感謝しております。

 県外の宿泊客が多いようですし、室戸の美しい海とホテルの癒しを感じ、

室戸木研のを知っていただければうれしいです。

 

 是非、ウトコ ディープシーセンター&ホテルをご利用ください。

 URL:http://www.utocods.co.jp

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2010年2月 1日

駅伝大会に向けて

 地域の小さな駅伝大会に毎年参加しております。

ピッタリ駅伝で、約1キロを5人でタスキをつないで行きます。

今年は5年生になった長男が参加するということで、同じ1区を走る予定、

まだまだ負けないなぁと感じつつ、3日ほど一緒に走りました。

 最近、筋力の衰えを感じ、息子に「駅伝のために走るの付きおうちゃる」と。

本当は、1人だと続かないので、息子を誘っているのですが、

昨日、今日と雨、これで早くもお休み、はたしてあしたは・・・

2010年1月29日

あっという間の1月

 あっという間に1月も終わりに近づいた。

気が付けば、29日です。寒かったり暖かったり体調管理が大変。

今月はたくさんの方々に会い、弊社の工場に足を運んでいただいた。

商談であったり、見学であったり、昨日は高知市内で打ち合わせ、

ひのきチップやオイルの評判はまずまずですが、

素材の域で商品としては未完成である、なんとか新商品開発にこぎつけたい。

2010年1月26日

11.龍馬暗殺

 最終回 1867年11月15日

この日は、龍馬の33歳の誕生日でした。とても寒い日で、少し風邪を

ひいていましたが、夕方、中岡慎太郎が来たので、近江屋で、

大政奉還後のことについて話し合っていました。

 夜、9時をすぎたころです。数人の男がやって来て、二階へ駆け上がる

なり、2人を斬りつけました。どうするひまもありません。なんとか刀を

引き寄せましたが、深い傷を負い命が絶えました。中岡慎太郎も、

11月17日に亡くなりました。30歳でした。

 2人は、京都や大阪にいた海援隊や、陸援隊の同士の人たちに

よって京都の霊山に、手あつく葬られました。暗殺の犯人は、幕府の

見廻組ではなかったか、と言われています。

 日本の夜明けは、すぐそこまできていたのです。どれほど、無念だった

ことでしょう。大政奉還から、わずか、1ヶ月後のことでした。

 下関にいた妻のお龍に、龍馬の死がしらされたのは、12月2日でした。

                                           完
簡単に、資料をもとにかいたのですが、いろいろな説があり定かではないです。

事前に調べて「竜馬伝」を見るとおもしろいかも・・・

2010年1月24日

10.大政奉還

 幕府の力がおとろえ、農村では百姓一揆が、

都市では打ちこわしが、日本の各地で起きていました。
 
 「大政奉還」を中心にすえた龍馬の「船中八策」は、山内容堂に取り入れられ

土佐藩の建白書として幕府にだされました。

 15代将軍、徳川慶喜は、これを受け入れることにしました。幕府が270年の間

行ってきた政治を朝廷に返すのです。1867年10月13日、京都の二条城に

各藩の代表が集められ、大政奉還が決まりました。

 このことは、後藤象二郎から、龍馬へすぐ知らされました。龍馬はどれほどうれしく

思ったことでしょう。

 11月1日、龍馬は福井藩に松平春嶽と由利公正を訪ねて、新しい政府をどうつくるか、

などについて打ち合わせをした後、11月5日京都の近江屋に帰ってきました。

いそがしい毎日でした。

次回、最終回、つづく・・・

2010年1月22日

尾崎知事が購入?

 今日は、午後6時から天然素材産業研究会に参加するため、

高知会館にいきました。前川種苗の前川会長と土佐龍の池社長の

講演を聴き勉強になりました。懇親会もあったのですが、

残念ながら参加することができませんでした。

 会の参加前に土佐・龍馬であい博のメイン会場「とさてらす」の

物産館の商品の検品にいってきました。

 ひのき枕(小)が売れていて、尾崎知事が買っていったとのこと、

たいへんうれしいことです。

 

2010年1月20日

9.船中八策

 幕府の長州征伐が失敗し、倒幕の動きが大きくひろがってきました。

これまで、公武合体を考えていた土佐藩は、どうしてよいかわかりません。

 長崎の土佐商会に来ていた後藤象二郎が、龍馬に土佐藩への協力を

たのんできました。

 1867年6月、2人は藩船夕顔で長崎から京都へ向いました。龍馬は幕府が

倒れた後の新しい日本の国の形を8項目にまとめて後藤象二郎に提案しました。

これが有名な「船中八策」です。

 多くのひとに出会い、その意見を聞き、自分の考えを」入れて、まとめあげたものです。

「船中八策」は、後藤から土佐藩の前藩主・山内容堂に伝えられました。

2010年1月19日

8、寺田屋の変と新婚旅行

 薩長同盟ができて2日目の夜、龍馬と三吉慎蔵は、京都の寺田屋で

これまでの苦労話をしていました。

 「大変や!大変や!お役人がぎょうさん家を囲んではいります!!はよにげな・・・」

午前3時ごろ、寺田屋のお龍が階段をかけ上がって来ました。戦いになり、

三吉慎蔵は槍で、龍馬はピストルで立ち向かいました。何とかその場は切り抜けましたが、

龍馬は両手の指に大怪我をしました。

 お龍のおかげで命拾いした龍馬は、中岡慎太郎の仲人でお龍と結婚しました。2人は

薩摩へ帰ろうとしていた小松帯刀や西郷隆盛から、「治療のつもりで薩摩へおじゃたもんせ。」

と誘われ、大阪から薩摩藩の船に乗り込みました。

 瀬戸内海の新緑にかすむ島々をながめながら、下関、長崎をへて3月10日鹿児島へ着きました。

傷に効くと言われる塩浸温泉でくつろいだり、つつじが咲きみだれる霧島山に登ったりして、

安らぎのある日々を過ごしました。

 「日本で、最初に新婚旅行をしたカップル」といわれています。

つづきは、後日・・・